作成日: 15/05/24  
修正日: 15/05/24  

家族

・・・っていいな




写真は本日手に入れたものです。茄子は母が持たせてくれたもので、後ろのテレビの「手作り感満載」の
壁掛け木材は昼間に父と日曜大工でしあげたものです。

前々から部屋のテレビを台座でなく、壁にひっつけたいと熱望していたので、父と話してて
「ほいじゃあ、板がありゃあ、できるだら」というのでスイと父が板を見繕ってくれて、
電動ノコでギューンと切って、採寸して足場をネジ止めして15分くらいで完成です。

私の中で、父はいつまでもどこまでも頼れる人であって、何でも作っちゃう人であるまま、今の年まで
過ごしてきました。幼少の頃は「子供部屋」のために、手作りで一棟子供家(?)も建ててます。
道具にせよ、仕込みや仕立て、なんでも父に相談したらできちゃうという圧倒的な安心感があります。

実家に帰宅のたびに、母は必ずなにかを持たせてくれます。味ご飯であったり、お漬け物であったり、
今日は茄子がもらえたから、と分けてくれました。私は茄子の調理が上手くありませんが、それでも
母の心根はやっぱりうれしくって、なんとか上手に美味しく食べてみようと思います。



私個人としては本当に父母がそこにいてくれてうれしく思っております。話せて、何か一緒に食べて
作ってみたり、でかけてみたり、世の中の「家族」っていうものが、一概にみんな仲良しってものでもないことは
世の中に出てから随分知ってきたつもりだったけれど、私は、父と母がとても自慢なのです。

姪と甥も随分大きくなってきて、一緒に鬼ごっこやおままごとをやいのやいのと喧嘩寸前になるまで
遊んでおり、ああ、子供が普通に子供でいられるっていうありがたみもしみてくる年になりました。



当たり前のように思ってきたことだけれど、こういう生活の自然な幸せっていうのは、みんなが少しづつ
用意して、備えて、「そうする」ってきめてくれてきたものの蓄積なんですね。
当たり前なんかじゃない。こういうのを厭(いと)う人もいるわけで、そういうのをシノゴノいうつもりは
ないけれど、生きててナニガシカのつらさやシンドさってものに対面し、辟易としてる時には
「ふと戻って正気を取り戻す」指針が、やっぱり人には必要だと思うんです。

家族っていうのが、いろんな巡り合わせから、「別々の命」が、「そこで一緒に過ごす」ことになる
共同体なわけです。同じ命ってわけじゃないし、考え方もペースも、けっこう別個別個なのよね。
だけど、底に流れてる「ナニカ」が分かってて、分け合ってたり、重ねてたり、離れてみたりするんだよね。

全てが上手くいくもんじゃないのかもしれないけれど、でもやっぱり家族はいいよ。
どこのよそにもない、かけがえがない。人の根っこにある感情は、やっぱり家族で培われるものですね。