作成日: 15/08/28  
修正日: 15/09/26  

態度について思ってみる

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「私はなんにも渡さないけど、あんたはたんまり出せ」という強盗まがいな人物が、普通の顔つきで
一般人の中に2割くらい存在してるような気がしてきました。そしてとても被害者の顔つきをします。
おおむねそういう人は、実害を人に与えていますから、避けられるのにね。教育はそこそこ
受けてきておりますが、生きるための教養がありません。正しいことばかりノウノウと、
トウトウと歌い上げております。くだらん。

結局は自分の方から放散しているものが還ってくるだけ、というのが人生の仕組みです。
放ってないものが戻ってくるゆえんもないわけです。「出した覚えがない」ものであっても
戻ってきて気づかないだけであるってことも、まま、あるわけです。そうそう堂々と
「言ってくれればいいのに!」とか「そんなはずないのに!」とか言われても、その人に
相応のものがギフトされてることを、どうか、どうか分かって欲しいところです。

「知らなかった」り「分からなかったり」してたがために、他人に実は迷惑をかけ続けている人がいます。
それに気づくには時間がかかるかもしれませんが、早く気づかないと迷惑はかけ続けていますから、
そうそう周りも看過してくれはしません。次第に許されなくなってくるのですが、そこまで
知らぬ存ぜぬを通せる道理がないのです。

年をとってからの無知は本当に迷惑です。教育はなくてもいいけれど、知恵はついていなくちゃ
いけません。「普通」には普通のままじゃたどりつけません。
その人が、なにの味方でいたかはその人が一番分かる。

そしていまひとつ。
映画「サマーウォーズ」の中でおじさんが言う台詞に「負け戦だってやるんだ」ってのがありました。
「馬鹿な家族」って台詞が続くんだけど、そうだよな、ってしみたのでした。

負け越すことがわかってても負けにいかなくちゃいけない時が人にはあります。
どうのたうちまわっても飲み下せないものを、飲み込むほかない、もしくは狂うしかないくらいにしか
選びようのない場面が、生きてるとあります。

負けることが怖いと、負けるのがつらくて仕方がありません。負けることになれていれば平気かと
思いきや、それはそれで打ちしおれていく自分がわかります。勝ち負け以上のものさしがあって、
そのものさしで感じれば、負けることを負うしかない局面に、堂々と立つことが姿勢として要るのです。

負け戦だってやるんだ

やるんだ

うん。
そうだ。やるんだ。
本当に失うことがいっぱいになるんだよ。


そんな生きてる上のもろもろはさ、年を召した人にはいくつか経験の上から共感があるみたいで、
うっすら優しいんですよ、人。そういう厚みって好きだな。若い人は、そういうの、信じてみてください。
裏切られたり、死んじゃったりすることもあるかもしれないけれど、そこまで負うんだよ、覚悟ってものは。
それは言葉じゃなくって、態度なんだよね。