作成日: 15/11/01  
修正日: 15/11/01  

助かってます

なんとかします


今年に入って顕著に増えてきたのは「他人様が助けてくれる」ことの回数です。
それそれまで「普通」にしてたんですが、「実は・・」で切り出されて、こっちが
引き受けられることかどうかも即答できないような案件も、どこか「頼って」くれての
相談だったりして、なんだかこう鼻息荒くなりまして「やってみます」と、ついいつもの
調子づきで請け負っちゃうのでした。

ヒキアイがあるほどのがんばりをしているわけでもないのに、こっちが謀(はか)って
そうしたわけでもないのに、どこか信頼感を感じる依頼がぽんと放り込まれてきます。
心の準備のないことや、仕込んでこなかったことへの花開く、っていう体験があまりないので
正直「え?ええのん?頼まれるのはうれしいけれど、ええのん?」と内心うろたえております。

それはおおむね、自分が普段生きて、過ごしている生活圏のテリトリーではなく、ここ
数年でちょっと話しただけの人だったりするので、用心してますか?ホンマに俺で大丈夫やと
思ってはるんですか?とハラハラしておるのです。
ただ、そのくらいの「つきあい」の人たちが、一斉に、同時多発的に日本のあちこちから
お声がけをいただけるようになると、うれしいですね、とても。

日々もめたり困ったり行き詰まったりもするんですけどね、どうにかこうにかそういった
ことたちをしのいで、しのいで、隙間みたいなところから、時間や意思をひねくりだしてさ、
なんとかしなくちゃ、の一念でなんとかするので精一杯。

で、やっぱり「逃げ出さないか」はピンチの連続の中で見定められてるなって感じます。
「どのくらいで音を上げるの?」「引き返したり逃げ出すボーダーラインはどこに
引いてるの?」って値踏まれる。その視線には慣れたし、気にしないでいいものになってきました。

お腹の底の方に流れてるものを見透かされてる気持ちになります。
そこにシンパシーを感じてくれる人からお声がけをいただけるので、どうにかこうにか
うまいことやってあげようって自然と気持ちがなれるのは、やっぱりうれしいこと。
結果としてでるものは「かろうじて」ではなく、「相手の要求以上」が仕事ってものは
マナーだから、手抜けない。だけどひるんでいられる時間もない。慌てるし、焦るし、無様だけど
なんとかしたい。

誰も彼もとことごとく上手にやりたい、ってんじゃなしに、要所要所の「ここぞ」という人に
信を置かれる生き方を心がけるぞ、と決意新たな昨今です。