作成日: 17/01/08  
修正日: 17/01/08  

大人の追試なの?

もうちょっと賢い選択はないかね


2017年1月8日の朝日新聞「日曜に想う」の記事が興味深かった。
「我々国民は、赤点をとった学生なのか」と、EUでのニース条約批准を問う投票について、
2002年にアイルランドの男性が言った言葉らしい。議会は賛成多数なのに国民投票では
まるきし反対の民意が出たんだって。

「国民は(政府と同じ)答えを出すまで追試を受けさせられているみたいだ」、と。

英国のEU離脱も記事では触れられていて、国民投票と議会の大勢が、まったくの真逆。
アメリカ大統領選の「トランプ氏」「サンダース氏」の健闘も、2大政党制の思惑を
なぎ倒すものであった、と。記事では「代表制の危機に他ならない」と総じている。

この感じ、日本でもあると思う。
沖縄と日本って構図でもいいし、このごろの政治家の言葉で「理解してもらうよう、
説明を続ける」的な表現が頻度高く使われますけど、これってそのまま
「(政府と同じ)答えを出すまで追試を受けさせられているみたい」そのものだ。
そうだっけ?理解させていただけるまで、聞く側が、心折れるまで、「うん」というまで
我慢比べするって言うのが民意のありかたなんだっけ?違うよねえ。

常々気持ち悪かった感覚だったけれど、新聞にこうして形を示してもらえて、正直ホッとした。
みんなが多く、そう感じていることが「うやむや」としてまかり通される心地悪さがこのごろ
複数、同時並行でずんずんまかり通ってる息苦しさがある。反面、ネットの上でこの手の
「しゃんとする」見識にたどりつけないのはなんでなのか?どこかにはあるのだろうけど、
面白いほど間抜けな記事にしかヒットしない。

声高に、大声の人が勝つ、という図が大嫌いだ。分かりやすすぎるものは、不自然と思う。
トランプさんの発言の心地悪さがハナにつく理由がこの記事でシャンとした感じがしたのです。
「俺の言うことに『うん』とだけ言え。それ以外は黙ってろ」と言う意味では今の日本国政権も
同じ。「代表者」が「代表」を務められない発言を繰り返す。
つまり、仕組みが破綻してると仕組み自身が暴露してる。こういうの続けてると「国」って仕組みが
厭われて、ぶっこわしに向かうかもよ。

エリザベス女王がさ、リーマンショックのときに、幾多の経済学者に言った「どうして誰も危機が起こることを
分からなかったのですか?」って言葉のストレートさで、ガツンときたように、素朴な本音が
一番威力を持つと思う。発言の背後にたっぷり利益を含んだ人たちの、煽動めいたワンフレーズとは
明らかに質が違うじゃない?立ち位置がはっきりしてて、飲み込めるじゃない。

大人がしっかりしなくちゃね。被害は後の世代に平気で回っちゃうから。よくないよ。よくない。