作成日: 17/03/26  
修正日: 17/03/26  

春の少し前に想う

穏やかな気持ちは人の間に浮かぶ


母と今日は香典返しの名簿、業者への段取りをくみ、母は少しホッとした顔になったのでこちらも
少しばかり心穏やかになった。

父は3月初旬に亡くなった。その前日から、母と病室に泊まり込んでいたので、意識がなくなったのは
前日のことで、返事がなくなったり、手を握り返すことがなくなったこと、父につながれた各種の
機器の反応から、弱々しくなる信号を前に、私は父の胸をさすり、母は足を一生懸命さすっていた。
効果のほどは分からないけれど、心拍数や脈拍に一喜一憂する夜だった。父の痛みは少しはひくだろうか、
苦しさが少しでも和らげてるんだろうか。夜明け前には片目だけうっすらあけた父の目は、焦点が
さだまらないので、こちらが焦点に入るよう、顔を近づけたり、話しかけたりした。
看護婦さんも声は最後の最後まで聞こえてますから、と励ましてくれて、いろいろお礼や気持ちを
伝えた。何度も何度も危険を知らせるアラームが病室に響き、その度に母はさする手を早めて、
小さくつぶやきながら父を励ました。アラームはおさまったり、鳴ったりを一晩続けたけれど、
数値は徐々に弱くなっていくのだった。

病床にある父の看病に、母は本当に献身的に、本当に毎日病室へ通っていた。末期の頃、先生は
消化器系の内臓の音がしない、動いていないかもしれない、とおっしゃって、耳を疑った。
まだ生きる、これからまだ生きるって本人が思ってるのに、体の方が機能を停止しようとしてる。
そんなことがあるのかって、でも先生がそういうので、それは数ある症例に照らせば、たしかにあること
なんだとは思う。

でもどこかで「父は違う」って思いたくて思いたくて仕方なかった。泣きたくなったけれど、父はもっと
苦しいさなかにあるのに、それをそばでみている母がいるのに、私が泣いたって意味なんかなくて、
たくさん祈った。それしかなかった。

1年くらい、父はストーマを使っていたので、4人部屋に入院してもストーマ交換で気を使うことに
なったりする。そのときでも、看護婦さん以上に母はストーマに精通するまでになってたから、
悲しくでも嫌がるでもない、どこか感情を超越したような顔つきで、淡々とは母は父のストーマ交換を
こなせた。そうした中でも食事を済ませたし、痰だろうと吐瀉物であろうと、便であろうと、あったかけりゃ
生きてる証しだし、出てくれるんならまだ体が生きていこうとしてくれてるってことだし、
いいも悪いもなく、粛々と応じる。母はそれを本当に立派にこなした。みたことのない顔だった。
真剣なときの、母の顔だった。

私は昔っから、親が亡くなるのが心底怖かった。幼少の頃から、その日がずっと怖かった。
その日が日に日に近づいて来るときに、自分は気持ちでしゃんとしていられるのか全然わかんない
ままだった。お棺にいれるときにちゃんとできるだろうか、火葬場でお骨を入れられるだろうか、
喪主なんてできるんだろうか、なんにもわかんなかった。

でもそんなのが、来る。

なんにも分かんなくたって、くるものは来る。

家族はみんな、お互いに気遣いをし、心配りがあって、分担をしてくれて、家族で間に合わないところを
親族が手を出して助けてくれて、すべきこと、しないでおくことを教えてくれた。家族とか親族っていうのは
本当に貴重で、ありがたいもんだと心底思った。

通夜も葬式も、ながや家の親族はどこか笑顔がどこかかしこかにあって、悲しいんだけれど、笑顔で
故人をおくるぞっていう気概を感じた。だから笑えることころは笑うし、悲しむところは悲しむし、
感情を溜めずにいられたのは周りの人のおかげ。そう、おかげさま。

気遣う人ってさ、表情とか感情をうまくしつらえるから、人によると外に出せない、出さないことが
あるんだよ。それだけに、今目の前にしてるものが、がまんとか遠慮からくる平静であったりすると
どうにかして本来の気持ちになれるといいのに、と何度も思った。

それだけに、ごくまれに、「人に自然体でいさせてくれる」人に出会うと、たまらなく感謝する気持ちが
こみ上げて来た。冒頭に言う、母の香典返しのあとの安堵の顔は、そういう「素の母」の顔で
少しは自分も役に立ててるのかもと、小さいながらも思いが少しおさまった。

生前の父への想いからたくさん喋る人、泣く人、たたずむ人がいて、ああ、父は本当に多くの人に
居て欲しがってもらえた人だったんだとよくわかるお葬式だった。

今月、母は誕生日で、甥や姪がプレゼントをくれた。4歳になる甥は折り紙にお手紙を家族分
書いてくれて、渡してくれた。「じいちゃんの分は、帰って来てから渡す」って、いつものように
語るから、驚いたし、嬉しかたし、悲しかったし、ごちゃまぜな気持ちになった。

ああ、やっぱりばらばらなエッセイになっちゃった。でもこれでいい。

親族のうちにもすでに身内をなくされている家族がいるから、そういう人のかけてくれる言葉は
どこか優しく、それまで語ってこないでいた言葉やエピソードを、今、ようやくって感じで
話してくれることがぐっと増えた。誰と一緒に生きて来ていられるかって大事だなって思った。

私は父が大好きで、大好きで、母も大好きで、大好きで、家族もいい人ばっかりで、親族も
信頼に足りて、優しい人ばっかりだったことを、この機会にまた感じ取れて、これはこれで
幸せなんだなあって思う。近いうちに、さみしさをこらえきれなくなる日がくるかもしれないけれど、
多分大丈夫な気がする。これが今の、一番元気な方の感情の精一杯。

父さん、うちの家族、すっごくいいよ。ちょっと心配してて。ずっと心配してて。ずっと見てて。