作成日: 17/08/20  
修正日: 17/08/20  

培われていたもの

ひっそりと


はがきを書くことになって、はて、今の時勢切手っていくらでしたっけ?ってしらべてみたら
2017年8月現在62円だった。封筒が60円くらいで送れてた時代の記憶の人だから
随分はがきも封筒も使わなくて済む生活ができてきてるんだなあと実感。

お仕事で縁あってよくしてくれた方が、はがきをくれたので、お返事しようとしたら
はがきの値段が分からなかったのです。仕事というのは尊いものだけれど、がんばりすぎても
手抜きすぎてもいいものではなく、体を壊したり精神を病んだりした経験も鑑みると
どうしても仕事の縁の人には、間合いをとってしまいがちだったんだけど、今回の人は
どこか人情味でつながりを感じて、遅れちゃったけれど、ようやくお返事が書けた。

一方でお仕事柄いろんな流転の中で日々過ごしてて、一緒にチームを組む仲間っていうものが
あるんだけれど、他班に比べ、つかず離れずが信条でやってきてました。
数年来一緒にやってきた仲間とも、飲み会も開催せず、オフに集うこともせずにきたのだけれど、
ふいに今週は会って話す機会に恵まれて軽食を食べながら仕事に就いて話した。

「どこまでいっても交わりきらない、サラダボウルのような集い方」のチームでいたいと
私は言ってたし、これまでチームといいながらもどこかまとまりを得ないできたのだけれど、
それを言葉にしてみたら、お互いそれでよさそうであったり、話せただけでうれしかったって
メンツもいたので、これはこれでいいのかな、とも思いました。

ここ数ヶ月、いろんな意味でホイホイ追い込まれたり、苛まれたり、まあなんだかやたら
持ち出しを物質的にも精神的にも求められ続けて、くたびれかけてたさなかに、フイに
そのチームに幾度も助けられたのでした。自分の代わりに怒りこんでくれたり、身代わりに
なってくれたり、少なくとも私はそういうのを他人に求めたくない方なので、極力
精神論を吐かずに、「結果」で「しのげる」やり口を模索しながらやってきてた。
仕事は仕事。ドライにできるところをドライにしておきたかったのでしょう。

なのにまわりの仲間は「いざ」というときに味方になってくれてて、自分の側のドライさに
比べて、思いやりの良く分かる配慮を示されて、ああ、思い違いしてるぞ、俺などと、
反省もしたのです。

「自分がやってあげたいこと」と「他人がしてくれること」は比例したりするものじゃ
ない。見返りなんて考えるだけ疲弊するもの。できることを、やってあげたことをそのときに
して、おしまい。他人からも、他人がしてあげたいだけのことをしてくれて、おしまい。

登山に似てるんだけど、常に全力を出し続けて登山なんかしてればすぐに死んでしまう。
余力と知恵をつかえるさなかで達成をすればいいのである。外野がののしってこようが、
ヒステリックにしてこようが、応じることはない。自分にまだ余力があるように、他人に
見受けられようとも、その加減は当人に帰する量加減でいればいい。これをいじると
伸びもする怪我もする。出し惜しむと決めたならそれでいい。それで嫌われようと阻害されようと
甘んじて受ければいい。決めたのがあなた自身であるなら、得心もいく。

それでも上に挙げてきたことは、実は私自身、「自分ではそういうつもりでいなかった」ところ
からのリターンばっかりなんです。しゃにむに、その時々でできたことをチョロンとやった
ことに、返事が来てびっくり、くらいの事柄。

自信も見通しもなくうろたえてやってることにだって、結果は伴うものだ。それがこっちが
期待してなかった返礼であることを、わたしはそれをどこかで自分が防御しているのを知った。

人の縁は、相手が相手の中で培ってくれたものを。おすそわけしてもらうことではっと気づく。
自分の中で培っていもしないものが、ギフトでやって来るから、うろたえてしまう。うろたえつつも
すっごくうれしくなる。ブッキラとした人も、へらんへらんに見受ける人も、その態度や言説に
関わらず、ふいにその人の中で培ってくれてきていたものを、チラ見させてくれると、
なんかすごいお宝を拝んでる気持ちになれる。そしてそれは数年に一度くらいのチラ見でいいと
やっぱり思う。