作成日: 17/10/22  
修正日: 17/10/22  

お年召しませ

召しませ年を


10月も中旬を過ぎての超大型台風が迫っているそうです。「今年の気候はオカシイ」って
ニュースもすっかりマンネリ感があるので、異常な気候とやらは、もはやデフォルトなんで
しょうね。

台風が近づくとドキドキしますんで、すでに雨が降っていましたが、午前中は本格的な
風雨に見舞われる前に、甥の誕生日プレゼントを届けに帰省。母に託してとって帰る
道すがら、このまま部屋に戻るのはもったいないなあと思い、ドンキホーテに寄ってみますと
いけませんなあ、ラジカセが売ってまして、ついつい買ってしまいました。食材買い出しの
つもりだったのに、真っ赤なラジカセが部屋にしつらえられました。満足満足。

さて、このごろ身の回りにおこることが、いよいよ年配者のそれになってきまして、
両親の怪我や病気、事故など、若い頃にもきっと連綿と続いていたであろう、各種の
イベントが、ようやく身につまされるそれになってきたことを感じるのでした。

悲壮感とかそういうんじゃなく、ああ、年をとらないと具体的には実感できない
もんなんだなって思ったのです。

疲れやすくなりまして、寝てる時間が増えてきました。グーグー寝てます。たっぷり食べます。
寝ても疲れがとりきれなかったりしますね。体の方が「疲れを残してる」ことを伝えて
来てくれるので、意識的に休むことに時間をかけるようになりました。

あと、私の父母世代の話になりますが、「体」っていうのは、その人の精神や気持ちに反して
「別個の生き物」としての態度を貫くんだなってことを感じます。
気持ちが今のまんまで生き続けていても、体はその機能を部分部分で「止め始める」ことがあって、
死に至らしめるほど、その患部の衰えが人間全体に影響してしまいます。
気持ちが「いつも通り」であるのに、あるとき反旗をひるがえして、体が裏切ることがあるんです。
でも覚えておかなくちゃ。

おお、こんだけ打ってるうちにも雨あしが強くなってきましたね。風はまだ強くないかな。
でも昨晩コンビニで菓子買い足しておいたし、ピザもホットドッグも冷蔵庫にあるから
食べ物は大丈夫。窓を開けて部屋の空気入れ替えてるくらいだから、ピークは夜中かな。

あと、ここ数ヶ月で、最近数年来のストレスが爆発したみたいで、コンサルの方にも
「自分を責めすぎてる」といわれまして、ようやく、自分の気持ちを殺して殺しすぎてて
体をおかしくしたことに気づきました。急に気づいたので、自分でもまだその処し方が
さだまっておらず、きっと周りの方々も急変なワタクシに困惑されていることでしょう。
ああ、これがあかんのやな。なんでもかんでもじぶんのせいにしちゃう。いかんいかん。

あと、前だったら「優しい言葉をかける」ことができたのに、このごろは沈黙を選ぶことが
増えました。気持ちに変わりはないのですが、なにかたどり着かないのです。言葉には
言葉の良さや思いやりがありますけど、今の私にはどうもそれじゃない感が強くあり、
探っている感じ。言葉って、思いが先にあって、その補完の意味合いで使う分には
「言ってない/言えてない」部分まで届くもんだと私は思ってますが、今の私には
言葉ではちょっと足りないんでしょうね。

静かに過ごすっていうのも大事なんですね。大事にしないものは壊れますね。

人の気持ちばかり拾ってたら、オカシクなりかけました。量が許容値を越えたみたいで
やっぱり駄目だね。車運転してて、気づいたら頬に涙伝ってたよ、今日。
まだ、なんか我慢してるみたい。あかんなあ。

これだけ好き放題なのに、それでも気持ちを投げてくれる人がちゃんといて、
見ていてくれて、話してるだけなのに、居心地がちゃんとあったりすることに、ああ、
もうちょっとわがままンなろって、おもいました。

ひとまず、年内に色々整え直して、来年は生き方を少し変えてみたいと思います。
ちょっと疲れたんでしょう。ああ、ただ「我慢」できるのも体力気力あってのことなんだなとは
思いました。そういうのも年を召してこそ、嫌なもんじゃなくなるんだよね。不思議。