作成日: 18/01/04  
修正日: 18/01/04  

リセット!

リセットリセット


去年末。ちゃんと仕事を辞めた。忘年会/送別会の席のあとでも
名残惜しんでくれるが何名もいたし、別離に際して御礼のお手紙も頂戴
できたことで、そうそうみなさんに迷惑もかけてこなかったみたいと
安堵のような気持ちもある一方で、「もう少し話そうよ」って試みて
くれた方には随分冷たくバイバイとなってしまったかもしれない。
話して事態が改善したりする光が見えたら、それもあるだろうけれど、
もう気力も体力もぎりぎりだった。

翌日、底が抜けたように「風邪」をひいてしまった。
これが年末も年始も突破する延々とした風邪っぴきとなり、1月4日現在
まだ痰や咳に苛まれております。
夜中じゅう1時間おきに目覚める咳で、腹筋はスレンダートーンばりに
堅く引き締まり(嘘)、本当に2日前までは不完全な状態でした。
みんなも気をつけて。

今日昨晩放映した「君の名は。」ってのをようやくみる気持ちになったので
見通した。
や!面白かった。できもいいし。子供には分かりにくいかもって思ったけど、
中学生くらいにはたまらんだろうなあ。うん、面白かった。色々思い出したよ。

年末の風邪なんだけれど「いいぞ、もっとこい!まだまだ」って思ってた
自分もいたのね。なぜならば「毒出し」の期間だから。
ここ数年、ここ半世紀の、それっぽい自分、でいたがための、今の状態を
いったん毒を抜きたくて仕方なかった。随分自分らしくやってきて、
手に入れたもの、全然手の届かなかったもの、手を出さなかったもの、を
ぐんぐん思い出しながら、風邪はどんどん悪化して行き、母にも移っちゃうし、
いやあ悪いことをしました。

父の死を悼むのは去年一年と自分では決めてたつもりだった。
父を思う気持ちは今もまるまる一緒だけど、押さえて、控えて、父の死から
慮(おもんばか)った行動をするのは、この1年に収めようと決めてた。
だから、体調がおかしくなったりしても頑張ったりせず、精神が病んでも
ちゃんとクリニックに行ったのは、通常運転の私にしては「我慢の足らない」
行動だっただろう。そういう意味では、正直になれた1年だった。

父の死とは、父の生をみつめることにもつながる。
あれだけのことを、人に尽くした父に、なにが戻ったろう。
父にどんなご褒美が還っただろう。父の本当の友人はどなただったろう。
真面目にいきるってことを貫いて、病気になって死に至るというのは
どういうことなのか、を逐一父を見てきた。

病気になって、何度も入院した父は、幾度か「もういいでな、頼むでな」
って言ってた。どこかに覚悟のあった人だったんだろう。
それでも最後の家族温泉旅行で、みんながピンポンしに行ってる時に
ふたりきりで話して感じたのは、まだまだ生きたい、まだまだやれることが、
まだまだみたいことがあるんだという父が、ストーマさすりながら
なんでこんなふううになっちゃうんだかなあ、と「病気」というものが
全くその人のやってきたこと、生き様のレール上にないものを、ぽんと
放り込んで来る事実に、平静を装って生返事するしなかった自分の力のなさ。

今の時点での結論から思うに、私は人に尽くしても、尽くして終わるものが
ほとんどであって、それは返礼のあるものではなく、尽くしたくて尽くす、に
尽きる。いいもわるいもなく、尽くし、終わる。
私は父のような人にはもっともっと山盛りのご褒美があったって、
いいんじゃねえの?ってずっと思っていたようだ。今もそうだ。

思い違いをしてたみたい。

だから
だからこそ、
リセットが要るなあって思ってたのです。ずっと。
「このまま」をつなげる生き方もしなくちゃならない人もいるでしょう。
でもどこか、わたしはそれを「そうかな」ってやってしまう。

今年、仕事探しに入る前に解毒を済ませます。たらふく猛毒背負い込んできてた
期間長かったから。さらりとしてから、息をし直します。深くね。