作成日: 18/03/07  
修正日: 18/03/07  

こころみの自問

答えにいたらんでよし


このごろ目に見えないものがどんどん気にかかるようになったんです。
そう書き出すと、何か霊的なナントカとか精神論で現実を突破!
みたいなナニガシみたいに身構えちゃうかもしれないけど、そーゆーんじゃ
なくてね、まあ聞いてよ。

「幻肢痛」て以前にエッセイで書いたけど、怪我や病気などで腕や足を
失った人が、すでに失った部位の「痛み」を感じてる症状って実際に
ありますよね。このごろ知ったのが、この逆ともいえる症状で、健常な
体躯でありながら、自分の体の一部分、記事では「片方の足」だけに
違和感、不快感をずっと覚えてて、無理矢理凍傷に持ち込んで切断したり、
アメリカでは銃で体の一部を撃ち、なきものにすることで、安堵を得るという
ものらしい。

これは「理想の身体」のイメージが、その人にとって「今のままじゃない」
に起因してる。ずれてるってことで、違和感を覚える。LGBTの方も
自分の精神と、身体のギャップに苦しむと見聞きした限りでは認識してるん
だけど、根っこに「理想の身体」像があることに発生してる。

社会にもまれてきた人はある程度心当たりがあると思うんだけど、世の中で
まかり通るものは、常に最善/最高のものではないことが、ままありませんか?
性能や、正しさでいえば、ひけのとりようもないものが、それらより劣った
もののほうが選抜されて、ディファクトスタンダードになっちゃうこと。

頭の中でよかれと判断できることが、現実の前に「そういいもんでもないね」と
さけられちゃうと、じゃあいっそ理想なんて持たなきゃ良かったなどと
ひねて、すねてしまったりすることもあります。

テレビで東北の震災の後、ご家族のお母さん、お姉さんを亡くした女の子の
話がやってた。その子はおじいさん、おばあさんにひきとられて育った
そうなんだけど、明るく振舞ってたんだって。あるとき、喧嘩の弾みで
「私がお母さんたちを殺したと思ってるんでしょう!」って口にしたんだって。
その子は震災のとき、学校にいて、避難はできてたんだって。その子のお母さんは
お姉さんを車に乗せて、学校に迎えにいったんだって。だけどその子がすでに
いなかったから、避難をしてる時に、津波にのまれてしまったらしい。
そのことを、この女の子はずっと知ってたらしく、お母さんやお姉さんの死を
自分のせいだって、ずっと、黙って、悲しんでいたのだと。

心の中に描いているものが、表に全部出るわけじゃないけれど、人は悲しかったら
泣くし、怒るしって思っちゃう。けれど大きすぎる出来事は、その人から
本来でてしかるべきだったものを、そのまま出すだけじゃおさまらないことを
直感してしまうんだろうか。黙ったり、しまったり、なかったことにしてしまう。

自分がそれを吐き出したって、仮に吐き出せたって、どうしようもないものに。
それでも出せって?
なんにもならないのに?
周りを困惑させるだけなのに?
それを自分が見なくちゃならないのに?
そんなことできるか  ってわかんないかな。
そんなことできるわけない。
そんなことも分かんない人に!

このごろ、幼少の子供たちが、親に暴力で殺されてる事件をとても多く知る。
逆らいようのない状況で、ただ毎日生きていたいだけなのに、親が殴って、
たたいて、食べ物や服を与えられないで、ひもじいとか寒いとか
助けなんかこなくて、誰も知らなくて、怖くて、嫌で、痛くて、
死んじゃうんだなんて   ああ、死んじゃうんだ しかなくて。

理想を持つとか、希望をもつというのは、いいものなんだろうかって
時々思うんです。それを持つ事で、知る事で、深い絶望やたちゆかない
現実に凄みが増してしまうのではないかと。

「みんなはいいよな」って鬱々としてゆく仕組みが多すぎるのかもね。
もっといいもの、もっと明るくて、美しくて、若々しいものは
いいものなんだろうかね。

テレビ観てて、ネット見てて、ラジオ聞いてて、よく思うよ。
こんだけメディアにもまれて、よくもこんなに「いるもの」がなんと
みつからないことか。
「たくさん あるだけ」で「いるもの」が手に入らない感が深い。

ビデオの規格でベータとVHSで後者が勝てたように
生まれてくる前の子供の性別を選りすぐれるように
ネットで世界とつながっていられるように
ただふらんで、ふくらんで、トップもボトムも見はらせない「その他大勢」で
埋没するばかりを体感してる毎日のように

見えにくいなにか でとっくに、ずっと、振り回され続ける生き方までは
予感してるのに、どうにもやりきれない この感覚を 受け取りたいのか
受け流したいのか 知らない事にしたいのか 

見えないからといって、なんにもしないってわけにもいかないのです。
存在しないからといって、「なんにもしない!」でもいられません。
なにかしちゃうんです。
なにかしちゃうんですけど、はっきりしないもので走り出しちゃってるんです。
これってなにかの「見込み」「や「予感」でもあるのかな。
いや、なくても、人は動いてる。生きてる。過ごしてる。

ただ、生きて、過ごしてるだけのところに、放り込まれて来るこの「見えないもの」
ってなんなんだろう。このわかんなさ加減の中を、平常心を保つのが
祈りだったり、気晴らしだったり、私にはどうもうさんくさくて。どうも。

● 痛くて仕方ない部位そのものがない幻肢痛
● 生まれながらの健常体に「違和感を覚えて」切断して得る安堵
● 「理想の身体」という感覚(今のままじゃない、という理想)
● ひどすぎる方の現実を前に 心のありよう
● 「理想」「期待」の高まりのせいで深まる無力感

みえないもの、そこにないもの、に振り回されるという現実。
今後の進み方に動機を与えてしまう、このあたまの中を落ち着かせるのは
なんなんだろう

それって頭のいい人とか、バカだから、とかいう次元の話じゃないもんね。