作成日: 18/09/06  
修正日: 18/09/06  

一斉にぶっ壊れてるの

手だてはあるはず


9月6日早朝3時過ぎ、北海道で大地震が起こりました。テレビではNHKが
一日中報道しています。民放はニュースバラエティーみたいな狭間で
報道ヘリや現地からの中継をインサートしていますが、局によっては
バラエティや時代劇になってるってことは、つまり「首都圏じゃないので」と
報道、放送をし続けているってことですよね?心が揺れる揺れる。

関空での8000人にも及びかねない「閉じ込め」は、空港敷地内に
唯一の連絡橋に、タンカーがぶつかるという、「インフラ同士がお互いの
凶器」となって、「破壊」に至ったもの。
結果「いつも通り」に来ていた人たちが、停電して、機能しなくなった施設内で
雑魚寝して、並ばされて、エアコンの切れた中で「黙って耐える」以外を
させない「静かな強制」に服している。関空側もなにが起こっているかを
場内にアナウンスせず、Wi-Fiの切れた施設内でかろうじてのインフラである
スマホやケータイで確認を試みた人も、なしのつぶてで「『何もわかならない』
ことだけが思い知らされる」事態になった。

連絡橋の破損から、島に車で来ていた人たちは「車に乗って帰る」ことを
希望したところで、「緊急車両が優先」という、漠然とした「正しそうなもの」に
翻弄されている気持ちにさせられるだろう。ピンチの時にこそ起こっている事態の
アナウンスが最優先に実行されるべきだが、日本のそれは残念ながら先進国の
それではない。流され、堆積してしまった自動車は、バッテリーを海水に
水没させてショートが起き、発火。ダマになった車両の山がまるまる一斉に
火災となった。

天災だから、誰それが悪いとは言わないにしても、「起こったこと」に対する
事後処理の際立つ始末の悪さ、準備のなさは目に余る。今の日本は「関空」
「新千歳」という二つの空港を失っている。国際便が名古屋などに振り分けられたと
しても「どうなってんだこの国は?」と憤るのではないか。政府は天災に
責任なんかとらないだろう。これよりもうんと小さな省庁を巻き込んだ
不祥事にすら、責任をとらなかった政府なのだと、多くの人は分かってる。
だからものすごくたくさんの人たちは強い気通りを覚えて蓄えている。

こうしたことからも感じ、ずっと思ってたことだけど、「ピンチとなった
個人にあまり優しいとは言えない」態度を国に感じてしまう。ボランティアや
人の善意はたしかにある。けど税金とられてる分だけのリターンが
いざという時に「機能してる」と感じられずにいる。「なんとかしなくちゃ」と
いう個人に起因するものしか、動いてるようにみえないのです。

今年に入って、何度天災がこの国を、世界を襲っていることか。
その数は年々増えることは想像できる。

美徳みたいに「黙って並ぶ」ことはよく報じられているけれど、並んでる
当人たちはハラワタが煮えくり返るくらいに、嫌々強制されていると
感じてる。どこか「シノゴノ言うなよ」という脅迫観念を覚える。
これに至る前に、もしくはその軽減に備えるべきなのは、個々人ではなく
公の機関の仕事じゃないんだろうか。

天災なのだ。天災という規模に対して「個人の責任」で対するのは任意で
あるけど、インフラの破損、同時多発的な事態に対し、公の機関の
手出しの少なさ、熱量の伝わらなさがどうにも腹立たしいのです。
「助けるから、待ってて!」という熱量も励ましも、事故直後こそ
肝心なのに、ゼロに等しかった。外国であれば民衆の暴動すら
起こりかねない状況にある。人々が「怒ってない」ように一見みえるのは
抑制の利いた態度ではあるけれど、自分の中のナニカを殺し続けてることに
鈍感にしていることは、いいことではない。自殺につながってるような
自制に、手を打たない狡猾さすら覚えてしまうのです。

お金を出して買った家や車が被災で「大きな燃えないゴミ」になることを
ずっと目の当たりにしてる世代たちに、テレビやネットは「もっと買え」
「もっと若返ろう」と喧伝しております。手を打たないでおいて、
そりゃないぜ、馬鹿になれって?と言われてる気にすらなります。
タンカーとか連絡橋とか、道路とかビルとか、インフラすらぶっ壊れて
巨大なごみになってるんです。「一斉に壊れる」ことが起こってるのを
メディア通じてみてる時代なんです。「一斉に駄目になった」を毎日
見てるんです。繰り返し。じゃあ、本当にしてほしいことはなにか?は
明白だというのに。

「電気も水も住まうところも、突然失われる」を念頭に過ごすことを
明に暗に強いられている。それはきっと世界のどこに住んでても
これを味わう時代に入っている。では強化すべきインフラってどっちの
方向のなにであるか?はもっとサバイバルな方ではないのかしら。