作成日: 18/09/29  
修正日: 18/09/29  

フリクリ(プログレ)

フリクリ映画2作を振り返る


またしても初日レイトショー。いつもの劇場。お客さんは大きなお友達9割。
オルタナとの共通項はなく、6話構成です。ハル子は出ず、ラハルとして登場。
主人公もヒドミという名の女子高生。やはり癖のある仲間が周りにいて
フリクリ節の利いた物語が展開される。

最初に言っときますが、プログレ、嫌いじゃありませんでした。
上映前にご飯食べたのに、見終わったらすでに空腹であったことからも
見てる最中に随分カロリー消費していたのが分かります。
じーーーーっと見てたってことです。その上で、今回の劇場版を
思い返してみます。

初期のフリクリは「新しい表現」を1シリーズ中でも、絵柄がホイホイ変わる
ことに躊躇しないでも平気、というテイを貫いていた。ほぼほぼ崩壊じゃね?
ってくらいの絵柄変更も動きも、ずんずんぶちかましていた。この「特徴」を
「踏襲」しているのが「オルタナ」と「プログレ」なんですが、「それもフリクリ
らしさだ」ということで、今劇場版の2作は「発明品」としてのそれではなく、
「踏襲」「伝統」と捉えて再表現してるのは、目新しさ、にはならなかった。

ハル子の「したいようにする」というのも、今作は「ラハル」で代用されるが
「そうは言っては」いますが、どこか周りの調和を破壊するほどの残虐さでは
なかったのが、惜しい。もっと馬鹿で、もっと整合性のないところにラハルを
もっていけたんじゃないかとも思うのです。登場当時のハル子は「発明品」
だったんですよね。「マバセの皆さん、場合によっちゃぁ、さよ~なら~」って
なに食わぬ顔で言えてたんです。全滅しようとも、です。ハル子はがちゃがちゃ
してるけど、がちゃがちゃしてればハル子、ってんじゃないわけです。

今作のラハルの「したいこと」を知ったヒドミは、ラハルの「好き勝手」に
自分も負けてないかんね、って構図ですよね。ラハルの目論みの根っこを
「少女じゃん」と看破し、競うスタイルに向かう。なるほどフリクリ以外の作品
であっては「そんなー」って気持ちになっちゃうところを、この世界観が
「それもいいじゃん」と許す。

フリクリの世界観を戴いて、平成最後のフリクリ演出家たちは、かつて
見たフリクリで味わった「ナニガシカ」を現代に戴き直そうと創意工夫を
試みました。表現幅は広がって来てるけど、所詮技術の進歩なので、
それでは現代っ子は物足りないのです。フリクリは「この作品ではじめて!」
っていう類いの「発明品」の宝庫であって。輝きます。ギラギラと。
その点にあって、今回の2作は作り手のリスペクトが根っこに透けて見え過ぎて
姿勢が良すぎたのでしょう。行儀がいいのです。突き抜けてないのです。
ピロウズも流れてます。愉快な映像表現もたしかにあります。でももっと
新しいもの好きがぎゅうぎゅうに詰まって、あふれてるのがフリクリです。

テーマとしての、「今なじんで生きて過ごしているものは永遠じゃないし、
変わることを望んでみれば」そのものも、OVA時代のフリクリがやって
くれてる以上、今作は他のテーマでもっと「わけわかんない」ものに挑んで
くれてて欲しかった気がします。鶴巻監督がパンフに書いてたように、
わけ分かんないまま作ってみたらば、面白くなってた、みたいなのは
ガイナックスの前身のゼネラルプロダクツがDAICON3&4を「なんで
感動させられたのか分からない」と、作り手自身が作り出したエモーションの
理由を知らず、と同じだと思います。詰め込んだ、ありったけを。
そしたら不思議に「今まででくわしてこなかった」ものになった。
フリクリはガイナックス時代にゼネプロ作品に似たエッセンスを全く
別の位置から再制作成し得ました。

それゆえ、日本よりもアメリカでフリクリが評価されて、ピロウズまで
アメリカまで伝播する副産物まで生み出しました。そう思うと、フリクリは
「リスペクト」なんてところから作るには、チト、ハードルが低いんで
しょうね。尊敬も敬意も「なるべくない荒れ地から」派生した感、が
しずっているころでしか、生まれにくいものだったんだと、今回思いました。

フリクリが作られて喜ばないわけにはいきません。人生の大きな節目に、
映画なんか見てる場合じゃない時に、私はこの作品を見れて、本当に
元気詰め込まれました。助かった、といってもいいんです。
フリクリはその「在り方」から、「なんでそんなとこから生えてるの?」って
いう違和感の世界に「突っ立ってて」くれてこそ、日常生活を「外野」で
過ごしてるような心持ちの人の「肯定」に説得力を持ち、唯一無二に
比較対象なしに、ギラつくんだなって、身勝手にそう思ったんです。

ですから、「まだ続編が作られて」も、いいと思います。なにより
「フリクリを映画にしたがった視線の良さは、全く間違ってないからです。
プログレの「サンキュー・マイ・トワイライト」は耳にとっくり残りました。