作成日: 19/07/22  
修正日: 19/07/22  

ふるいものたち

よのなかがひどいってちゃんと言え


人生と会社のどっちが大事ナノ?ってなると、家族もあって生活のかかってる人には
もう逃れようもなく会社なのです。よって、ちゃんと働いてる人のある程度は鬱とか
ストレスに身体を壊されますが、どうもそれは一定量の人が罹患していて、「我慢して」
生きています。世に言う「当たり前」のようです。

このごろは「カスハラ」なる言葉もあって、お客様がエラソーにえばりまくって
相手を圧倒するばかりか利益の要求をするやくざっぷりです。

わたしはすっかりこのごろ「今の世の中」の「正しさ」に向かい合うのがつくづく
莫迦らしく思えてきました。くたびれきりました。「正しさ」で人は狂うんだなって
つくづく思い知ったので、もうそっちの味方はしないことにしました。
できるかぎり離れます。

大きな会社の若者は、平気で会社の傘を纏って、嫌ですね、あなたはえらくもすごくもない
人が、自覚もなくえばっていました。個人的にはえらくありません。個々人の人は
普通にいい人なんですが、そういうのに「慣れる」生き方はどうも私の性分じゃないようでした。

人生100年時代なんだそうなので、折り返し地点をターンしたら、もうあんまり
我慢しないことにしました。壊れちゃうからです。

ひとつはこちらの「我慢袋」の耐久性が極端におちたことがあります。
昔はできた我慢が、できなくなったのです。私の場合、怒りだしたりするのではなく、
受け止めて、「捨てる」方に向かいました。ですから表立っては「変わりなく」みえます。
でも、相手が投げてくれたものを、快く受け止めて、ポイとすてるか、放置して腐らせます。
なんにもできません。「気力がゼロ」になりました。無起動なのです。
かつてはそれを自責しましたが、辞めました。壊れるばかりだからです。弱るばかりだからです。
助けてもらえないからです。

さてもう一つは、「世の中の方が狂ってる」ということです。
「昔っからこうやって伸びてきた」社会は、昔通りに人が確保できて、昔からのやり方が
「正しくて」、できないなら「切り捨てる」ものです。おかげで「人は集まりません」し、
「人は育てない」ですし、挙げ句体力のないところから廃業に向かいました。

その路線で維持して行くつもりのところは「外人さんを雇う」とかに走ってますが、思慮不足です。
原因が顧みられていません。
「従来のやり方」はすでに「異常」であり、人に避けられているじゃないですか。
お客様もクライアントも神様ってやれたのは、社会が上昇拡大機運にある間だけです。
でかい会社なんてものは、そのでかさがあだになって維持が尋常じゃなくなるでしょう。
小さいところも、小ささ故にねぎられ、値踏みされ、エバラレ、苦労苦労が続くでしょう。

京都アニメに放火がなされ、全世界に哀悼の姿勢を示してもらえて、悲しい事件だったけど、
わずかに希望の光を感じたのは、いいものを大事に作ってくれてきてた、名も知らない人たちを
世界は見ててくれたってことでした。

私はこういう世界の波にもまれたい。我慢して我慢してやってきたけど、もうやめるよ。