作成日: 19/09/18  
修正日: 19/09/18  

マネジメント過多

根っこが間違っとるよ


台風15号がきて、千葉で復旧に時間がかかると後々になって見通しが
甘いからと東電のパワーグリッドさんが知事にも叱られるというニュースが
流れると、「それは的が外れている」といった、政府のマネジメントが
悪いことこそ起因ではないかと、ネットで提起されてた。

実際、この被災ニュースでは、ネットの人は東電はよくやってるといった
方向の言葉が増えた気がする。倒木など、東電が所轄できない案件の中で
奮闘しているのも事実だからだ。

テレビが報道してなくて、とか、停電で情報が入らない、だとか、昔よりも
情報の流通が悪くなってる印象が強い印象。

昨今、なににつけ「~~マネジメントができていれば」といった見出しに
触れる回数が増えた。上の千葉被災でも、マネジメントの面でもっとしっかり
してれば・・となんだかどうも正体がない。今回でいえば「クライシス
マネジメントが甘かった」のが悪い、と。ふむ。

断水してる、命に関わる、人を回せよ
被災者は1週間の「異常な」生活を強いられて、「我慢が限界にきてる」と
森田知事がいつにない元気のなさで、東電さんを叱ってる様子をみた。

被災地を歩いてる小泉環境相の「いつものように見せる態度」は、
被災の前には、私には「コスプレ」みたいに映った(コスプレを卑下してる
表現じゃないからね!)。実際の停電時には、官邸で着任の儀式を
してた「偉い人」が、被災地をしたり顔で歩いてると、モーレツに
腹が立つ、それだけであります。ましてや幸せなご成婚の直後。
この時期に被災地を歩けば、そういう(映り方)になってしまうことを
「分からないでおく」顔つきで闊歩されると、見てる人は余計な
ストレスを余計に内包しなくちゃならなくなる。その無神経さ。
もっともセンシティブでいて欲しい時に、がさつな顕示欲が気に障るんです。

台風は東電さんのせいじゃないのに。
叱られてたので、謝ってくれてた。
被災の怒りは気象庁や、官庁の広報や、東電という、「目下ぶつけようのある」
ものに集中させてしまうのは、「今後のこと」を思うと理不尽でもある。
復旧の当事者たちを、ひるませるような、脅迫めいた叱責では、むしろ
萎縮を助長し、責任の転嫁先を探す不毛である。公官庁の人はそれに長けている
だけに、要領のいいやつが「叱られない」方法を模索できる材料を与えるだけ
では、これから増えてくる「被災」で思い切ってくれる人を、生まれにくく
するだけであります。

怒ってる、怒っちゃったことで、失敗や嫌な想いをすることが世の中です。
じゃあその怒りをそのままぶつけても、お互いいいことないよね、
そこで大事なのが「アンガーマネジメント」よね、というと、順繰りに
話が進んでるさなかでは「正しいかもねー」と思いやすいでしょう。

うん、ここでもマネジメント。
怒りが発生しても、6秒我慢すると、案外怒りは収まりやすくなる、などの
テクニック。

んー

んーとねー。

もう怒っていいんだと思う。
マネジメントすっ飛ばして「ばっかやろおおおおおおおおお」って
「ちっくしょーーーーーーーーーーー」って、うなっていいんだ。

どんだけ感情の発露がまんすんだってことよ。
我慢が美徳なこともあるでしょうよ。
でもね、「上手」にやるだけじゃ、人じゃなくなっちゃうんだよ。
お腹の底に蓄えちゃってる怒りって、案外なくならないのね。
時間の経過でしか収まりを付けないものもあるでしょうよ。

台風15号はやってくるって、確かに事前に報道されてました。翌日朝の
首都圏の電車は計画運休も周知されてた方でしょう。それでも「通常出勤」
を目論まざるを得ない、首都圏の一斉の大真面目さの「異常な風景」も
ニュースで目の当たりにしました。もうこの時点で、「静かな怒り」が
根深く、多くの人に蓄えられはじめてました。被災してない人にもね。
地鳴りみたいにゔゔゔゔって、憤りが震えてたまってる感じ。

それが「被災」ではじけて、復旧見込みの繰り返される延期で肥大化して、
「一番動いてくれてる」人たちが、目立つが故に怒りの矛先になってしまう。
全国の電力会社からの応援部隊にも刃は向いてる。
住民の皆さんからの怒りは、本当に当てる先を間違ってるかもしれない
けれど、もう黙ってたら気が狂うほどに我慢が尽きたのだ。もう駄目だと。

小出しにもっと怒ってたら、もうちょっと小振りに済んだ怒りだったかも
しれない。でも「我慢」は前提にされる世間の気風です。できる我慢を
ぎりぎりまでします。理由は「みんな我慢してるから」です。
だから、溢れ出てきた「みんなの一斉の我慢」のはじけっぷりは、
溜めに溜め込んで、誰にも止めようのない暴走機関車ばりの奔流で
「そのとき目についた誰彼」に炎を浴びせ倒します。相手が死んじまおうとも
今吐き出さないと狂うほどなので、もう相手なんか見てません。
ほとばしります。怒りのはけ口にされた人も人柱となって、みすみす
それを受け止めてくれます。きっと激しく消耗し、悲嘆にくれ、精神を
病みます。その時の怒りをうけとめるために。原因は台風ですが、
台風に苦情は申し奉れません。ですから人の怒りを、人が請け負うのです。
原因が台風なことを横において。

この不毛さ。
この理不尽さ。
本当に耐えなならんようなことか?
私はこういう、茶番がきらいなのです。

違うじゃん、台風じゃん。悪いの台風でしょう?
家の弱ってるとこから壊していったのって、台風でしょう?
電力・断水の「復旧の見通し」が怒りの発端のようにして、本当は
台風被災の怒りまでぶつけちゃってるでしょう?
被災者の怒りはもっともだよ。理不尽な被災だもの。
ただね、気象庁も悪くないの。政府機関も原因ではないの。大臣も。
東電パワーグリッドも「原因」ではないの。必死に寝食惜しんで
対処してくれてるの。「台風」でしょ?怒るんなら台風にでしょう?

クライシスマネジメント、とかアンガーマネジメントとか、耳にあたりのいい
言葉は、冷静になってる時に読み返すとナルホドって思いたくなる時もある。
マネジメントして、コントロール下における手札を増やす「智慧」なんでしょうね。
でもねでもね、本当に怒ってる人のさなかで、この「マネジメント」の
考え方ほど心底憎みきれるおせっかいで空気の読めなさ加減のクソ憎たらしい
ことったらないよ!「正しい」じゃなく「適切」であって欲しいタイミング。

停電して、断水して、被災1週間経過して家の中にも「臭い」が
充満しつつあるさなかで「マネジメント」ほどイラネーものはない。
余計なこというなって思う。渦巻く地響きのような怒りを、どうか小出しに
もっと出させて欲しい。適切に、出させて欲しい。「できる我慢」が
できちゃうが故に「できなくなっちゃほど溜め込んだ我慢」を生み出す
愚作を祟って欲しい!マネジメントなんか要らないよ。

白黒テレビ時代以前の時代に起こった台風たちのさなかには、きっとまだ
被災者には「マネジメント」なんて言葉はなかったと思う。
そこに映って見受ける感情は「台風のせいで」っていう、天災への
あきらめにも似た「感情の発露」を予感する。
でも、今の時代の人たちの「怒れる矛先を、正しくなくても設定して吐き出す」
ような、量は少なく、少なくとも「台風のせいで」という、本来の方向に
怒りは消費されてると思う。マネジメント、とか我慢っていうのは、
「本当はあてつけていい感情」を、意識的に狂わす方法かもしれない。
それじゃあ、人という「根っこ」がすでに合点がいかないんだよ。
根っこが間違っとるの。上に生えてくるものも狂うでしょう?

根っこが大事よ。