作成日: 19/12/06  
修正日: 19/12/06  

ブートさせる人生

ドラッグする人もお父ちゃんたちも、そうがんばるな


マキハラノリユキさんとかサワジリエリカさんだとか、芸能人でドラッグ使う
人が逮捕される。マーシーまで行ってしまうともう帰り道は塞がってるんだろうけど
「現状」でおさまらない高みを目指してる人が、モウチョイのガッツをひねり出せずに
使っちゃってる印象があります。

「自分のことだけ」考えて生きていられれば、身体を壊す行為はしないのが
人ってものよね。仕事上の「あと一息」って、一つ仕事やってる時は「それだけ
済ませれば」くらいに思って、頑張ろうとします。で、一つ乗り越えれば、
不思議に「まだやれる」と、自分も、周りもそうなって、「もう一山」って
じゃんじゃん連なっていきます。仕事って「自分のことだけ」じゃなくなってて
「他人も巻き込むかも」ってなった時に「できない」じゃ「済まなく」なって
くたびれきってる自分にむち打って、「頑張る」んですよね。

他人のためだと、また頑張れちゃう。自分のことより頑張れちゃう。
で、「頑張る」でたどり着けなくなった時に「もう一山!」って望まれて
ブートのしようがなくなって、ドラッグで奮起しちゃうんだろうか。

ドラッグだろーがなんだろーが、くらいに考えちゃうよね、仕事上の要求って。
ひでーもん。仕事上の無茶ぶりって。雑でがさつでケチなんだよ、要求が。
「なにがなんでも」が、度を超すからブートしちゃえる方法を編み出す。
その究極がドラッグなんだろうな。

ドラッグするまで「追い込んだ人たち」はなんで無罪なの?
ドラッグしなくて「鬱」や「自殺」にまで追い込まれた人は山のように居るよね?
仕事って、経済って、ひどいこと要求することあるよね?
それ、何で無罪なの?追い込んでますよね。
遠巻きに「自己責任で、ドラッグだろーが労基にひっかかろーが、やれよ」って
追い込んでるのが発端。原因といえます。

鬱患って分かったことは、「頑張る」はあんまり使わない方がいいってこと。
癖になってるだけで、いいもんじゃなかった。ブートできる自分って、凄いんじゃなく
痛めつけてるに等しい。一時評価されても、褒められても、長期的には疲弊し
寿命は縮み、楽しめたはずのことをいくつもあきらめて死んでいく。

「自己責任」ってヒデー言葉。
自分じゃない誰かを、実力以上にブートさせて、果実はもぎ取り、親木は朽ち果てる。
今の日本でたくさんの「お父さんたち」は「自分」を殺してる。でもその一斉の
ブートで成り立ち、戦う社会は、他の「頑張らなかった社会」に勝ち抜く!
強い!強いぞ!でも底辺は「ブートしっぱなし」で「やっと」勝ったのに、
この社会で「勝っちゃったもんだから」次の戦いに挑んじゃう。

ブートして、すでに手足は伸びきった断崖絶壁の人生の人は、次々に落下し始める。
日本の「おもてなし」ってものは、言葉が綺麗なだけで、たくさんの「ブートする」
人々の時間を延長に次ぐ延長ですり減らして、「自己責任」でおしまいにする。

こうなれば次の世代は、その生き方を見てるので、見捨てるだろうね。
「社会」や「会社」が「勝って」も、見合うペイはないんだから。
貪るように人を助けないところを忌避するだろうね。ザマーミロだよ。

ブートさせるものから離れなさいって。
生きるってもっと馬鹿なまんまでいいんだよ。できなくたっていいんだよ。
自分を壊しにかかってくるものは、ろくでもないものなんだ。ホントそう思う。