作成日: 20/01/14  
修正日: 20/01/16  

「頑張ることの果て」の後

追伸です、追伸


ガンバッテーガンバッテーのドン着きが分かってから、とっくり
振り返ってみたのです。わたしの「頑張ってみる」素養は、両親の
性格を強く受けたものでしたから、確たる理由もなく、頑張って
きております。

誤解があってはいけませんのでちゃんと書きますが、頑張るのは
いいことです。ナニゴトもやってみるのはいいものです。
それはいいものも、悪いものも、やってみてわかるものですから。
やってみて、総スカンを食らったら、そンでいいのです。食らって
おけばいいのです。「やっちまった人」を見てる人もいるので、
自分がするかしないかも自由自在なのです。

私の場合、思ったのは「できる限り頑張る」ではいけなかったと
思いました。そこには「できる限り」とついていて、自分が我慢
できるうちは我慢する、を標榜しています。
できる限り、というと、力の限り、ぎりぎりまで!という
「思慮のない状態」で妄信で猛進するという「ダブルもうしん」です。
「もうしん・もうしん」です(しつこい)。

言い換えますね。
「壊れるまでやる」を肯定してました。
ですから苦手なことも、嫌なことも、「駄目になるまでやる」が
染み付いちゃってたんですね。人間関係も、乗ってる愛車も
自分の頑張り方も、「壊れるまで我慢する」ってこと。

いやいやいやぁ、これはいけない。いけません。
でもね、理屈を越えて踏ん張らねばならぬ時は便利でした。
もう「考えてません」からね。「頑張るしかない」ですから。
小理屈抜きで、善処します。そういう傾向は他者にも利用されます。
先に身体が壊れて、今度は心が壊れます。丈夫なところはそのままで
丈夫じゃないところがザバーって、底が抜けるんですよ。
みんなは気をつけてね。

「できる限り頑張る」は若いうちだけにしてください。
そうね、20代までかな。

家族があったり、友達付き合いが大事な人には「巻き込む」
ことを是としてくれる人しか、長続きしないはずです。
そういう付き合いは本物ですけどね。ウフフ。