作成日: 20/01/29  
修正日: 20/02/06  

「なんとかなるで」

「ほんなんやちゃうでいいだ」





このごろのエッセイが、なんとなく通り一辺倒の結論に終始してる気がしまして、
これじゃあ読んでる方も面白くなかろうなどと、読者がいるのかどーだかも
分かってないのに、「結論のなさそう」なモチーフをいじってみる事にしました。

両親に「結婚とかどーするだあ?」って聞かれた事があります。「子孫を残して
いく事も考えなああかんだぞん」と父は三河弁でしんなり言いましたが、普段
そうした「提言申し上げる」ような人柄ではないので、父なりに行き先怪しい
長男の思ってるとこを聞きたいようでした。

「結婚もしちゃやぁ、ほれはほれで何とかなるもんだで」と両親は言います。
先を見通しきってするもんが結婚するわけでもないけれど、まぁ所帯を持てば
持ったで誰もが「それなりに」なんとななるんだと、言うのが主旨でした。

んー、そうだよねー。「ナントカ」にはなるんでしょうーねー、と私は思いました。
とはいえ、まんざもてないわけでもないようですし(?)、ましてや「私の進みたい方向」
とやらは、なかなか理解に難しいものがあり、そうした意向を「面白い」と
期待と我慢を分かち合える人でもないと、双方不幸になりますゆえ、私も他の人も
「それでいーわー」とならぬ限りは、なっかなか、ねえ。

結婚して、誰もが幸せを望むんだけど、まぁ「結婚が幸せ」を運んでくるわけでもなく、
ましてや年輪を重ねたものには「結婚が招いた『のっぴきならない不幸』」もまた
いくつも出会っております。それも「結婚初期」から「家族崩壊」まで、
人生のどこの岐路からも、「いきなりショック!」なエピソードに事欠きません。

もちろん、幸せに輪を描いて、輪を描いて、超素敵な家族もままあります。
いーなーと思います。私はそーゆーので「これでよし」になりそうもないので
父の言う「なんとかなるで」は、比較的あやしくなっちゃうのです。

あと、私が好きになっちゃう人は、なんか足が遠くに向いてる人が多いんですよ。
好きだからと引き寄せては、その歩調が鈍くなるし、魅力も減っちゃう。
伸び伸びと、オーラのような、インスピレーションを放つ子は、大事に思うと
とてもとても「手元に置いときたい」ではなく、「どこまでも見ていたい」の
方が勝っちゃう。そんなことない?

何人も好きになったけど、魅力的な子は、どこまでも底抜けに「つかまえようが
なかった」けれど、みなさんはどーなんでしょーね。とっつかまえておける
幸せもあるんでしょうね、きっと。
(面白い事なんだけど、こっちが向こうを見つけるように、向こうも何人も
 いる最中から、私を見つけてくる。)

「見てきたい!」って言われたら、「いきなよ」って思う。後々絶対その方が
楽しいと思う。すごくなると思う。駄目であっても「どう駄目だったか」は
生き生きと話せると思う。

私の父は、本当に私には心強い存在だった。自分自身でどーにもならないような
苦境でも、「ほんなん、やっちゃういでいいだ」って言ってくれた。
なんともなんねーことに、こう言えるのってかっこいいなと思った。
仮に、私が誰かに殺されたら、父は間違いなく殺したやつを殺しにいく人だと
私は疑いもしない。たとえ話よ?それくらいってことね。

なんとかなるで、っていうことなら、まだこれからだって、かなり「なんとかなる」
んだから、心配いらない。幸い、弟夫婦はしっかりしてるし、血統の意味での
存続はある意味なし得てる。
多分きっと、私が今握ってる、将来にわたっての手綱は、他の誰も真似し得ない
面白さを持ってるので、そーゆーのの波長がそろえば、「なんとかなる」
なんでしょーね。

ほら!結論のおさまりようのない話になった。でもまぁ、そーゆーこと。