作成日: 20/02/06  
修正日: 20/02/06  

生きてるって言おうぜ

普段使いの思考


TV&RADIO

新型コロナウィルスの発症で、世界中が揺れはじめています。そんな最中、日本でも
豪華客船野中で10名の方が発症されたとのことで、14日間の経過観察込みの
様子見がなされるとの事。薬のストックがなくなってしまう方なんか、命に関わる
事態ですし、食料補給、着替え諸々の生活物資の問題もさながら、「豪華客船の
周遊クルーズ」という一見富裕者層の娯楽でさえも、「疫病」の類いからは
逃れられないものになったんだなと思いました。

日本の某タワーマンションも地下の発電施設が水害で水没以降、修繕が遅くなったり
生活の不自由さが際立つものであったりと、「天災」の前では富裕者層の象徴で
あったものが、「案外面倒くさいだけのもの」に見立てられたりするように
なりました。

某お金持ちさんがネット上でお金を配ったりして話題を盛り上げても、
超有名芸能人であってもドラッグ中毒や不倫にまみれて見下されても、
桜をみんなで見ようねって言う政治家が知らんぷり決め込んでも、
なんだ、有名になっても、大物扱いされても、大してうらやましくもないあしらいで
済んじまうんだなあと、漠然と「つまんねー」と思うのです。

お金があった所で、大きな家を造って、いいしつらえの家財をそろえて、いい車を買い、
家族と住まわっても、水害や天災が「全部押し流す」様子をテレビで何度も見ました。
どんだけ買って揃えようが、全部流れます。土砂にまみれます。車もおもちゃみたいに
ぷかぷか流れてどっかにいきます。人のまだ居る家が家屋ごと流れていきます。
部屋のテレビもベッドも新品の畳も、土砂にまみれたので、「その他の粗大ゴミ」
となって、若い人が都会に出てった街の中で、高々と積み上げられ、腐臭を放つ
ごみになります。私たちの「買ってるもの」は「ごみ」になるだけだったのでした。
なにを買ってもです!いいですか。なにを買っても、です。

普段の生活で「いつまでも若く!」「70まで働ける!」「副業もできる!」
「いい生活にはいい買い物!」を叫ばれても、なんだ、ゴミを買わされるのかと
どこかで思ってます。「疲れにくい食べ物は」「賢い投資は」「あなたにぴったりの
異性は?」
どうです?テレビ・ラジオ・ネットで従来から叫んでくるものを試したり手に
入れたりして幸せになった人、います?

70歳まで生きられない人は、副業までやったって年金ももらえない人も
出てくるんですよね。これだけ行き詰まったものばっかりで囲ませて、
「よーっし、生きるぞー」ってなる訳ないじゃん。

学生のうちは「よりよい学校」めざし、「よりよい就職」めざし、「良い家庭」に
なるべく努力し、「年金だけで困らない」収入に汲々とし、鬱を抱えても家族を思えば
会社優先で生きる男性。そんな男性をだましだまし家計の柱として機能させる女性、
「より良い老後」を目指す、というのは、人生の目的と称していいもんなの?
じゃあ、どこで私たちは「生きてる」時間を味わうの。

その間に容赦なく「疫病」「天災」は襲いかかる頻度と規模を大きくさせている。
それが来るたびに、全世界規模での停滞や廃退が繰り返す。上に上げた
「世に言う普通の生活」はもうとっくに普通じゃない。親は子に生活費を
送金できなくなりつつある。年金で生きられなくなる。今あるものですら
水にも土砂にも流され失う。折角貯めたお金で所有したはずのものは、
一斉にゴミになる。

さぁ、この体験を通した上で、「もとの『いい生活』に戻ろう」ってなるかい?
残念ながら、メディアはまだそう薦めているし、政治家さんも有名人さんたちも
ろくろく幸せそうじゃない旧来の「成り上がりっぷり」のつまらなさを露呈してる。

「天災もくる!病気も流行る!どこにどう住んだって逃げられやしない!
 なにを、どんだけ買いそろえたって、ゴミになる!さぁ、じゃあ、
 どう生きるって君は決めるんだ?」に立ちはだかってくれるものが見当たらない。

グレタ・トゥーンベリさんが、これまでの世界の主導に異議を申し立てるのは
当然だと思う。「今、ここまで生きて来た連中の決めてやって来た事の成れの果て」
がこんななのに、よくもまぁ黙って過ごして来たよな、馬鹿者が!!っていう
ただの表明と受け取ればいい。その通りじゃん。
若造の御託といやぁ、その通りよ。この御託すら言わないでいた(ないことにした)
慧眼のなさを恥じようともしないで、みすみす困窮化してゆく世の中に迎合するのも
「良しとしない」まま「ただ、死ぬまで、頑張っただけで死ぬ」のなんてのはさ、

「生きてる」っていわないんじゃない?

生きたいの。どの世代に生まれついたかで備えるものが変わってくるとしたのならば、
私たちは「天災」の被害と「国際枠を超えた疫病」に対峙して、備える事を一義とした
生き方が適切だと私は思う。それは今のメディアに騒がれる宣伝物の優先順位と
大いに異なる。雨も風も、海も山も、きっと私たちに襲いかかってくる。被災者は
今後も「地元の小学校の体育館」で「段ボールのしきり」程度のプライバシーの
最中で「仮設住宅」に当選するのがせいぜいの希望、のまんまでいいの?
全然「今の時代にフィットした生活」予見されてないじゃん!昭和初期じゃん!
希望ってのはな!コーユー所にこそ芽生えるんだと思う。例え酷い目にあったとしても
日本国ってのはその人生の復帰に、生き直す時に「いい思いさせるぜ」って
ふわぁっと、「漠然と大丈夫って思える」であってくれてこそ、「普段に頑張れる」
んだと言えません?

豪華客船でクルーズしてても、高級タワーマンションに住んでても、一緒に月にいく
パートナーすら居ない金持ちになっても、そんなのがいいもののわけないじゃん。
見ててわかるでしょ?あの人たち、そんなにしあわせじゃないでしょう?って
テレビの前で、みんな思ってるじゃん。
そーゆーことよね。