作成日: 20/02/06  
修正日: 20/02/06  

リーダー

それは素養がものをいう






リーダー

一番上等なリーダーってのは
自分の働きを人々に知らさなかった
人々はただ
そんなリーダーがいる事だけ知っていた
その次のリーダーは
人々に親しみ、褒めたたえられ、愛された
ところが次の時代になると
人々に恐れられるリーダーが出てきた
さらに次の代になると
人々に侮られる人間がリーダーになった

エッセンシャル・タオ 加藤祥造:著
”リーダー”より抜粋


アメリカでトランプっていう大統領が弾劾裁判で無罪となって、演説する時に
ペロシさんと握手もせずにいたら、むざむざと教書の紙を破られてた。
もうホント、見苦しいったらありゃしない。

まぁアメリカって国も、トランプさんって言う人を大統領にせざるを得ない
事情があったんで、そうなったんでしょう。世界はぐちゃぐちゃになったけどね。
「アメリカなんかがあるから」って思わせる挙行が多くなった気がします。
でもまぁアメリカがトランプさんを大統領にしたかったんだから、責を負うのね。
いいんじゃね。

冒頭にあげた詩はこっそり敬愛する老子道徳経の詩編を加藤先生が意訳
くださったもので、なんど読んでも「うむぅ」とうなってしまう。

もう詩の通りよね。トランプトランプ言ってるけど、翻って我が国の総理や如何に、
ってなもんよね。聖人望む訳じゃないけれど、程度問題はあるでしょう。

幼少の頃は立派な大人になることの隠喩に「社長さんになる」っていうのが
あったと思う。今の子は社長さんになりたいっていうのかな?
あんまり聞かないフレーズになってしまった。昔の映画にはやたら「社長さん」が
「喜劇」って銘打たれた映画に出ていて、幼少ながら「喜劇、って割になにが
面白いのか全然分からん!分からんぞ!森繁●彌さん!」と怒っていた私。
「これのどこが喜劇なんだ植●等さん!」ドリフや松竹新喜劇の方が100倍
喜劇だったとおもうけどね・・・おっとそれた。

世に出て実際の社長業は、「偉い」ダケの人たちばかりでなく、人知れず
苦労の多いものだと分かって来て、社長をされる方のほとんどは善人で
あったにしても、ご苦労が報われてるのか報われてないのか、とかく
困った事が舞い込んでくる地位なのは、傍目に「難儀だなあ」と青色吐息に
なるばかりでした。命令を発しても、必ずしも社員は全力を尽くすものでも
ないのに、毎月必ず人件費分は確保を要求される。

会社からのいいつけを守るはずの社員サイドも、一つ山を越えた所で、
難なく次の山を提供されてくるので、そうそう楽々に「ひとつの山越え」を
見せる訳にもいかず、のらりくらりの「仕方」の差があるだけで、おおよその
人は「経営側」の困難さに巻き込まれないよう、目先のひとつに注力してる風で
しのいでいる。なんせ会社の仕事ってのは、要求に際限がないので、まともに
とりあってたら、人格否定されるまで要求は高ぶり、コストの削減を迫られ、
ろくでもない事に陥る。世に言う「頭のいい人」とは、この点に置いて
「そこそこ見栄えて、やってる風」が実に巧みであります。

でも正直、そーゆーのが巧みであろうが超絶であろうが、人としては特段
憧れもしないし、目指しもしない。しのぎが巧いというのは「一緒に生きる人」
としての利便はいいでしょうけど、ま、面白くないんスよ。

何人かの尊敬できる人を見つけたら、その人から派生する人脈をたぐる方が
よほど効率は良いものです。本当にいい人には、本当にいい人が巡っています。
私の知る限りでも、本当にいい人は「こっちがどんなにアホで腐ってても」
差別なく助力してくれました。無駄な事は言わず、黙ってみていてくれました。
いざ、というときに見捨てませんでした。

冒頭の詩編にあるように、空気みたいに存在していてくれるのに、有事の際に
振り下ろす斧は、誠に巨大で、刃先は鋭く、的確で、一撃必殺なリーダーは
実在します。(歯向かいようのないところに、あっというまに押しやられます)
(勝負ってのは、その土俵に乗る前に結果がでているものです)
着飾ったり、浪費したり、見せびらかしたりしません。
しずかーに。静かに過ごしているように見えます。

私の弟が、昔、社長に抜擢された時に「社長業なんて、頭のねじがぶっ飛んだ
人じゃないとつとまらんわ」と言って辞退しました。同感です。胆力が違います。

あれこれ総じてみると、私はリーダーになりたくないなあと思うのです。
ひとつの駒として、エーイ、ヤーアと好き勝手に叫んで、ナガモノを振り回してる
ような馬鹿っぽさが、人生では楽しいような気がするのです。

ふー、なんかとりとめないエッセイだったね。