作成日: 20/06/24  
修正日: 20/06/24  

三峡ダムに見る自然と経済の不同意

儲けたものは去り、被害は甚大


この1ヶ月くらいは中国の三峡ダムの件が気になっています。もともと1000年保つと言われて
しつらえられて、それが100年保つとなり、10年保つかどうかと変遷した巨大ダム。
それがここ数週間大雨に見舞われているそうである。川上も川下ももう過分な水量に達しており、
決壊しているダムや橋梁がすでに発生。土石流や破損材がどんどん流れ込んだところに、
三峡ダム自身も貯水量が限界を超えつつあり、そんな雨がもう1週間は継続するというので
いよいよ決壊か、放水か、ってところらしい。

下流域には中国のインフラの半分が立地しており、人口は6億人が在住。避難しようにも
逃げ場はなく、外国にもコロナ禍で出入り自由という状況でもない。日本のテレビはほとんど
その事実を放映する気もなく、ネット経由でしか知りようもないのだが、中国では最近このダムの
映像が流れるようになって来たと聞いた。ほんとうかしら。

三峡ダムが溜め込んだ水を放水すれば、下流域のすでに水面下に至ってる地域に過大な被害を
もたらすそうだ。放水せねば、従来より指摘されてたように、ダム自体の自損が始まるだろう。
行くも地獄、とどまるも地獄の様相だそうだ。

実際それに至るかは、今週から1週間で決着するから、中国自身の運命にゆだねるとしよう。
ただ、この三峡ダムにまつわる話で、設置に前向きだった中国共産党の偉い人たちには、巨額の
賄賂や収益がもたらされたそうだ。江沢民の時代にダム建設が決まったが、完成してからも
党書記はダムを見に来なかったそうだ。習さんがはじめて訪れた偉い人らしい。それくらい
作りっぱなしの案件。

ダムは設立時に巨額の投資と恩恵があり、放流時に「発電」の利益構造があるため、ダムの建立は
一刻も早くを念頭に置かれ、木綿豆腐工事などと揶揄される事もあるってネットでは言われてた。
「安全性」よりも「利益誘導」が先行するのは、腐敗組織の常套手段ではある。

一斉に、「利益を自らに誘導する」ことを人生の主眼に置く程度のエリートたちは、事前の
「利益誘導時」において運動のピークを迎え、できる限り早く「事後の災厄」に近づかない
位置に避難を講ずる。人の心理としてはなるほど、おいしいどこどりかと、合点も行く。

しかし、こと「世界最大級」の三峡ダムの決壊となれば、上述のように6億人の死傷者が
発生する「人災」のそしりを免れない。世界最大級の人災は、「儲けにたかった連中」以外の
人に見舞われる。「儲けのおこぼれ頂戴」のつけは、他人が払うのだ。しかも共産思想の
実践の国でこれが起こるようだ。もはや共産思想の産物ではなく、資本主義思想以下の
利益体質を結果で露呈することになる。尖閣諸島とかに潜水艦送ってる場合じゃないのだ。
急ぎ自国の国民を救出する手だてに走った方がいい。

人の賢さ、というものの「使い道」のつまらなさに、辟易とするのです。

「儲ける」ために英知を消費する程度にしか、存在価値のない世界って、愚かしくも貧しい。
とはいえ、昨今では「学校」ですら「将来のために」とかナントカ、「学業の成果・
結果を分かりやすく」示すような、短絡的な正否判断が標準化して来ています。
学業だとか、企業内の成績だとか、収入の如何だとか、さも比べ易いもので人を
評価し、相対化し、それなりな序列をくみ上げては幸せか、まぁまぁ幸せかなどと
チョコマカやってますけど、これらも根っこの部分では「三峡ダムのたかり連中」と
さほどの差異はないと言い切っていいでしょう。

学業は未知のものに莫とした不思議を覚えて、なにかよくわからんが惹かれるので、
結果が出るかどうかをさておき、その究明を自らに課して、探求する手だての発見から
はじめるような、開拓精神がのっけにあって然るものでしょう。

その探求・究明が「後々儲けに繋がるから始める」などという、既定路線のあるものじゃ
ないからこそ、挑むのであって、「儲からないので、やりません」などという短絡精神が
そもそも芽生えないような性質のものです。

しかしかなら、実際の学業の「業界界隈」では全く真反対の事がおきております。
大きな大学や研究室を出られれば、食いっぱぐれないという担保をニンジンにして、
多くの学生たちが「なんかわからんが、まぁ上の方へ」と馬と化して走り抜けます。
まぁそもそも、そういう利己的発想で生きるのも、そんなに悪くありません。未知の苦しみに
対峙して、何年もかけて解決するかどうかもはっきりしない案件に、身を処す「愚かさ」は
無駄な横道のようなものです。

そうした「日々の食いっぱぐれのなさ」が、謙虚さを保って、死ぬまで延々「毎日
食べれる糧があるだけでいい」で維持できればいいのですが、残念ながらエスカレートを
起こします。「少しでもいい暮らし」を指向しますし、それは「誰にも迷惑ではない」を
理屈に、謙虚さは後退、儲け、儲けの歩幅を、隙あらば模索する生き方に変貌します。
結果、「三峡ダムでおこぼれ頂戴」の連中に規模が違うだけで、同じ存在証明に執心
するようになっています。

一方で、三峡ダムの存在は、風水的に「世界最大の龍脈を背骨で断つ」ようなものだそうで
ダムが計画された当時から、反対の声はずっとあったそうです。その声は「おこぼれ頂戴組」に
そもそも届きようがないです。その理由ではおこぼれ組には魅惑しないのです。儲けが
ないからです。
著名な水利の研究者だった中国の先生も、三峡ダムには反対だったそうです。その方は
ドイツから、昨今の人災寸前の母国に「下流域から逃げろ」と喧伝しています。
この声も届きません。儲からないからです。

「儲からない」からと、無視して行ったら、6億人が死に瀕する事態にまで膨らみそうです。
そこまで膨らませました。打つ手もないようです。ダムができるまでは、四川に大きな
川の氾濫はなかったともネットではいってました。自然が「それなりにおさめる」据わりの
良さを生み出していたのでしょう。それが、ダムの完成からここ10年でちまちまと
治水の失敗の事故が発生し、ついに今、存続の危機にまで至りました。

儲けたい、というスタートラインの不遜を感じます。
そう悪いこっちゃない、っていう風潮もある事でしょう。
生きやすくなるために、少し儲け枠をふくらませたい、ということは、生き物としては
自然な着想です。
ただ、自然の中に置いては、「短絡」な利益に思います。

非常に極短な利益の渇望欲求で、大きく見やると、「損」を誘う方向にしか向かえない。
他人を巻き込む大災害に関与したつもりなんかなく、「ちょっとおこぼれにあずかる」程度の
欲求のなにが悪い?と個人単位では悪意も他意もないのでしょう。

三峡ダムは、そういう人たちの中で生まれたダムです。
今、決壊の危機に瀕しています。

誰が悪いかって?

もう遅いですよね。ダムは駄目になるんですから。
物理的に「経済が人を殺す」巨大規模の風景を、できれば目の当たりにしたくありません。

中国には、自然にはそもそも勝てないのが人の存在であると説く智慧がありました。
その智慧のある国で起こる事態は、さぁ、私たち自身の住む国に起こる事と、
いったいどれだけ差があるって言うんでしょうね?

自然災害は、正直に返礼を示してくるでしょう。いいも悪いもなく、洗い流します。
「智慧」のあり方、本当の賢さを、人はもっと重視したところからはじめなくては。
とっくに「自然を敵に回す」規模にまで、人口は肥大化してしまっているのですから。