作成日: 20/07/06  
修正日: 20/07/06  

人の主観は自然に負けつつある

「思った通り」の短い生命線


1、事象
中国の三峡ダムのありようといい、このごろの韓国の異常さといい、失敗に向かいつつあるものに
同じ理屈を見て取れます。「人為的な見立て」が現実にそぐっていないという事です。

コロナ禍の事にしても、「正確な情報を周知・告知させる」が念頭にあれば、かくも事態は
酷くは広がらなかった。加えて「封じる」という行為が入って来ていました。
三峡ダムの事例で言えば、中国当局は流域周辺のスマホなどによる映像の公開を禁じました。
公的機関側の「伝えたい様子」にそぐわない情報を、例え現実が映っていても、遮断しました。
正確さを「破棄」させていたのです。(スマホ撮影者のネットへのアップは逮捕)

韓国は「憎む」授業を教育に取り入れて来て、「反日」が馴染まされていますが、じつにこれも
人為的なすり込みです。歴史的な伝統もあるのでしょうが、怨にはじまる思想で、広く花咲く
結果にはたどり着かないはずです。怨が最初にあるものは、その最後に結果にも含まれます。
自然なものではありません。人為的なすり込みです。それが昨今、韓国の若者に足手まといな
重荷を与えているように外野からは見えてしまうのです。この場合、正確さとはなにを
指すんでしょうか。どういうのが正確な状態と示せるのでしょうか。あまりにも人為的、
意図的に過ぎます。

自国民に自身をつけようと大統領は何かにつけ鼓舞して、讃えて、お金を配りました。
でも結果、国家は借金をしており、為すべき経済は攻撃され疲弊し、鼓舞した事のいくつかは
嘘でした。「見たいように、見よう」と大統領が率先していました。そしてそれは
国民をどこに運んでいるでしょうか。

中国・韓国は結果、本来の正確な状態が把握されず、事態の悪化を招きました。
つまり、人側の都合を配慮しないものについて、この場合「自然の災害」ですが、正確でない
情報が流通しない限り、なにが起こっていたって「無力」ですし「無益」となり、事態が
大きく悪化しました。三峡ダムの件で言えばダムの上流下流領域で「洪水」が起きています。
「天候が悪くて」と当局は告知しましたが、ダムは決壊を恐れて、地域に告知なしに放水を
行い、水没地域を増加させました。しかもダムの放水は「現在ダムは全力で電力発電中」と
いう情報だけして、放水の事実を隠匿したままでした。

韓国の若者は大統領が発したシュプレヒコールほどの恩恵はうけられませんでした。
仕事にあぶれるほど、社会全体が弱くなっています。うまく行っていた時に日本を
攻撃し、弱くなって来たら、攻撃にあてていた体力まで消耗が重なり、米国に
利子付きのきつい借金を申し込んで返済に苦労しています。

これらの風景、まるきし今の日本の政府も一緒ですね。首相が見たいように見て、
やりたいようにやって、不祥事が頻発しても、「自分は正しいと思ってやっている」の
一点張りで、何人大臣が更迭されようと責任は負わず、知らんぷりを決め込みます。

誰か、どこかの組織の意向を汲んだものでは、この世に起こる事について、間に合わぬ
事例がいよいよ顕著に出現して来たように思います。


2、本質
上の章で、中国の三峡ダムが顕著な例で挙げてしまいましたが、コロナ禍では米国、
ブラジル、ロシア、スペイン、イタリア、イスラエルでもそうですが、大変猛威を
奮っておりまして、しかも沈静化する手だてを見失っている感を、その国のリーダーの
言質から推察する事ができます。全く効力がなく、デタラメを吹聴する向きすら非難も
されぬほどの放置っぷりです。これらの「生きるうちで、個人の選択を尊重する」
国家であるほど、コロナ禍を有効的に抑圧する手だてがないのが象徴的です。
一概に共産圏の情報統制ばかりが悪というのでもなく、コロナ禍は、「自由である」
ほど、大きく流布しました。未だに米国は世界一の罹患率、死者数を維持しています。

個人が「コロナ禍」を前にして、十分な情報があったところで、「見たいようにしか
見ない」「知りたいようにしか知っておかない」で済ませられる時、コロナ禍は俄然
遠慮なしに罹患しまくっていきます。いわば「見たいように見る」ことの完敗、です。


3、思索
コロナ禍のさなかにおいて、国土を広く、大きく所有するほどその全体の負荷は高まり
収まりを付けられる術を欠いています。国土の拡大を国威の一つとカウントして来た
国はすみずみまで手を打つことがとっくに間に合わず、放棄しています。

ではコロナ禍においては、そうした被災、被害、伝染を念頭に置いて、「維持できる
サイズにダウンサイズしていく?」でしょうか。つまり、把握対処できるくらいには
コロニー単位での生活圏を作るとか、などのしつらえです。

私個人は広くて大きいところから、「滅んで行き始める」のではないかと思っています。

成長一辺倒を尊ぶ風潮で20世紀までぶっ飛ばして来た人類ですが、ここに来て
調子良く「サスティナブル(持続継続できるよう)に」などと言いはじめました。
「急激に伸びたものは、成長と同じ理由によって衰退する」はずです。
強く、大きく、発展、などというものは、まぁ、今見てる社会の概念なんてものは、
人を生かし続けられないものになってきてや
しないでしょうか?


自然に起こる事は、ただ「起こっている」だけだが、その応じ方に、人の側がことごとく
誤って、死に至って行く愚行を繰り返してはいないでしょうか。1の章で挙げた
三峡ダムがなかった頃、上流域の四川では川の氾濫は起こっていなかったそうです。
ダムができてから毎年のように上下流域で渇水・洪水が頻発しっぱなしなったそうです。
人為で為したものが、ただ自然で温和にあり得たものを、みすみす怖し、痛め、敵視
させるにいたったのではないでしょうか。

そして、国際河川のようなものは特に、国境を越えて治水が関わって来ており、
国単位出の決定程度ではおさまらない事態にも発展します。まして国単位内でも
一斉に収まりを付けるという網羅が、すでに間に合ってないのです。なのにまだ
国土を拡張する思想でいる理由がよくわかりません。


4、仮締め
ウイルス性の病気治療に当たる抗生物質ですが、ひとつ抗生物質が発明されると
それに抗うウイルスが変異、巧妙化していきます。人の側が事態のハードルを上げて
「大変だ!」と言っています。ウイルスには全然大変じゃありません。人の側だけです。
派手な自作自演。マッチポンプですね。

ここで中国の「老子」さんの詩より引用致します。

天下多忌諱、而民彌貧
「天下に忌諱多くして、民弥々貧し」老子って人の言葉だそうです。決め事ばかり増え、
首が回らなくなるような息苦しい状況では、伸びやかに操業もままならず、民衆は
苦しみ貧すると。これって今のことじゃないですかね?コロナ禍ではっきりしたのは
世界中で一斉にこれじゃないかしら?

個人に思想を許さなくても、自由に動けても、洪水もコロナ禍もおさまりをみつける
事ができませんでした。

人が見たいように見るはもう完敗しているように思います。
権力がいくらあろうが、国土がどれだけあろうが、その維持費はもうまかなえず、
これからも起こるいろいろな天災や試練の前に音を上げる事でしょう。

コロナ禍が起こった当初から、私は違和感を大きくずっと抱えました。どうにも
どこの国も、誰もが、うまく行かなくなってる。人は一緒に過ごせなくなっていく事を
肯定するようになるのか、一緒には過ごさない生活を模索し始めるのか。その生活で
「人」といえるのだろうか。人が人として培い、築いて来た社会構造が全くの
「間違いであった」ではじめるのだろうか。常に換気を気をつけ、人は寄り添わぬ
生き方で・・・・幸せをわかるだろうか。人が人を辞めるときなんだろうか。
どうにもわからなかったのです。そして今も分かりません。ですからこの章は
今思ってる丈のうちで、一番高いところまででひとまず仮締めです。いつか続きも
書けるでしょう。では。